私の父の、一周忌の法要をおこないました。

 

あれから1年。

 

驚くほどに、月日が経つのが早いです。

 

実際の一周忌は、5月3日ですが、GWは皆さん都合が悪い為、

早めの法要となりました。

 

先々月あたりに、お坊さんの予約をしたのですが、

 

もう1年!?とびっくりしてしまいました。

 

 

 

父と母は、とても仲の良い夫婦で、

そりゃ、結婚生活も長いので、喧嘩の一つや二つや三つはありましたが、

お互いに、離婚なんて考えた事もないでしょう。

 

母は、女は男に尽くすのが当たり前の時代に産まれた人なので、

それはそれは、献身的に尽くしていました。

自分も仕事をしていたのに(しかもフルタイム)、

家事は全て自分がやっており、

父は、コーヒーも自分で入れた事がなかったです。

 

だからと言って、怖い、頑固じじぃではなく、

大変温厚で、優しくて、声を荒げる所なんて聞いた事もなく、

喧嘩する時も、ぎゃんぎゃんわめく母を遠目に、

「なんか、怒ってるなぁ」と、笑っていたほどです。

母が一方的に怒っていただけで、喧嘩ではなかったかもしれませんね。

 

いつも笑顔いっぱいの父でした♪

 

私は、母よりも、父の方が大好きでした。ここだけの話ですよ。ふふふ。

思春期の、父を嫌うような年頃の頃にも、

父が大好きでした照れ

私の理想の男性です!

 

 

母が、

毎日、歯ブラシに、歯磨き粉を付けて渡している所や、

缶コーヒーのプルタブも開けて渡している所や、

お風呂に入れば、父が上がる前に、下着からパジャマから全部用意し、

朝は、Yシャツからネクタイからスーツから靴下まで準備し、

靴は毎日ピカピカに磨いていました。

 

若かった時は、夜は日付が変わってから寝て、朝は4時頃起きて朝食の用意、

そして自分も仕事に行くだなんて、

そういう姿だけは、私はどんなに相手が好きでも

そこまで尽くせないので、唯一尊敬する所でした。

 

 

だけど、人間だから疲れるでしょう?

 

 

あまりにも全ての事をやってあげて、

疲れが目に見えて分かるようになっていたので、

大人になっていた私は、

「そんなに何でもかんでもやっていて、疲れないの?

たまにはさぼってもバチは当たらないでしょう」と言ったら、

「お仕事してくれている感謝の気持ちでやっているの」と、

妻の鏡みたいな事を言っていました。

 

 

が。

 

 

その後に、付け足すように、

 

 

「だから、定年までねウインク」と。

 

 

その言葉通り、

 

父が定年になってからは、食事の支度だけは相変わらずきちんとしていたけど、

 

掃除は父にやらせるようになりました笑い泣き

 

歯ブラシに歯磨き粉なんて、もう付けません。

 

「おい、お茶」という父に、

「自分でやってくださいね!ついでに私にも入れて下さいな♪」と

うまくあしらうようになりました。

 

腰が痛いだの足が痛いだのと言って、父にマッサージもさせていました。

 

肩も毎日揉んでいたように思います。(母は万年肩こりだった)

 

 

最初の方こそ、あまり尽くしてくれなくなった母に、不満があったようですが

慣れっこになってしまい、色々な事を自分でやるようになりました。

 

 

 

ちなみに、スーパー主婦の母でしたが、

子育てはやっていません。

 

朝から晩まで家にいない母でしたので(もちろん父も)

私は、祖父母に育てられました。生後3か月の時からです。

 

こんなに忙しく仕事して家事もしていたら、

子育てやってられないわよね。

 

妻としては立派だったかもしれないけど、母としての愛情は全く感じられなかったあの頃。

 

だから子供がグレるのよ。

母娘の関係も、めちゃめちゃ悪くなっちゃったしね。

子供は自分の手で育てなくちゃいけないと思うんですけどね。

立派な食事を作ったり、掃除して部屋をピカピカにする時間より、

子供を抱っこする時間の方が大切なのに。

スーパー主婦のお母さんより、

家事能力低くても、抱っこをたくさんしてくれるお母さんが欲しかったよ私は。

 

 

おっと、話が逸れてしまったわ。

 

 

 

父が亡くなったのは、最初に癌になってから、13年経った時です。

その間に、手術は4回。

医学の進歩により、毎回不死鳥のようによみがえっては

元気に生きてくれた父でしたが、

最後の手術は、完治する手術ではなく、延命する手術なので、

体力的にも一か八かなので、手術中に亡くなってしまうかもしれない。

成功率は、わずか10%だったかな?(ちょっと曖昧だわ)

その10%の為に手術しますか?

しかも成功しても、延命出来るのは、3か月くらいかもしれない。

 

どうしますか?と聞いてきたドクターに、

 

私達家族はとっても悩み、

いたずらに手術して父をさらに苦しめるのなら、延命はせずに

もうこのまま…

 

という選択を考えていた時に、

 

父本人が、自分の余命も理解し、

 

「手術する!」と言いました。

 

 

 

 

そして、手術は無事に成功し、父はもう少し生きられる事になったのですが、

3か月と言われたその命は、

半年以上も長生きしてくれました。

 

 

父がどうして、リスクの高い手術する道を選んだのかと言うと、

 

母の為でした。

 

俺がいなくなると、お母さんが辛い思いをするから。

俺がいないと、あいつは生きていけないかもしれない。

出来るだけ、出来るだけ、そばにいてやりたい。

手術すれば、介護が始まり、お金もかかり、みんなに迷惑をかけるのは

分かっているけれど、

許して欲しい。

 

と言いました。

 

 

最後まで、父が想っていたのは、母の事。

意識がなくなるギリギリまで、

「どうか、母さんを頼む」とずっと言っていました。

 

 

こんなに愛されたら本望ですね。

 

 

 

親は、いつか必ず亡くなります。

元気な親でも、だんだん弱って行きます。

忙しいから、どうせ元気だろう、ではなく、

どうか、親にたくさん顔を見せてあげてくださいね。

 

遠く離れている人ならなおさら、

帰省するのが年に一回?年に二回?

あと10年生きたって、10回や、20回しか会えないという事なんですから。

20年生きても、20回か、40回です。

その数は、思うより少ないです。

 

実の親が亡くなる時というのは、心臓が掴まれる思いで

想像するより、グッと来ます。

もっと会っておけばよかったと、後悔しませんように。

 

 

 

なーんて、

 

暗い話になってごめんなさいね!

 

 

本当は、全然暗くない、みんなで集まって、めちゃめちゃ笑いたっぷりの

明るい法事でございました!

 

(母は1年経ってもまだ鬱っぽいんですが、この日はたくさんの人と賑やかに過ごせたので

とても元気でした♪)

 

 

 

法事が無事に終わり、

 

遠くからも駆けつけて集まってくれた親戚達と、

会食に行きました。

 

 

 

 

 

 

場所は、母のリクエストで、「とんでん」で。

 

とんでんは、北海道が発祥のお店なんですよね。

関東にもあります。

懐かしいメニューがたくさん♪

(私は北海道出身です)

 

北海海鮮丼と土瓶蒸しのセット、ほっき貝の刺身を注文しました。

 

もちろん、デザートも~~~♪

 

海鮮丼は、思ったよりも量が多くて、なのにデザートまで食べたから

お腹破裂するかと思いましたチーン

 

 

そして、

 

 

季節外れのスイカスイカ

 

父が大好きだったスイカ。

亡くなる前に、「スイカが食べたい」と言った父の為に、

みんなでスイカを探しました!

 

4月にスイカなんて欲しがるんじゃねぇぇぇぇ!

 

だけど、探せば、ちゃんと売ってるものなんです。

 

美味しい美味しいと言って、食べてくれました。

 

そんな思い出のスイカを、今年もまた、季節外れなのに

みんなで食べました。

 

甘くて、とっても美味しいスイカでした♪

 

 

 

この時は、みんなちょっと、しんみりと。(全然しんみりした顔じゃないけど)

 

みんなで、父を思い出しながら、食べました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然ですが、くまモンのイラストを。

 

 

絵が描ける人は、くまモンのイラスト描いて応援するんですって。

あちこちでくまモン描いてる人がいるのは

そういうことだったのね♪

 

私も描かせてもらいました!

 

 

九州地方の方、頑張って下さい!

 

 

 

 

恐れ入りますが、くまモンを、クリックしてくださいね♪

よろしくお願い致します♪

 

 

 

いつも、イイネやコメントをありがとうございます!

励みになります♪

 

GW中は、帰省される方も多いかな?

息子も、大学の友達はみんな帰省でいなくなってしまうので

地元の友達と遊ぶようです。

 

お子さんが、進学や就職で離れてしまったご家庭も、

GWに帰ってくる人が多いのでしょうか。

久しぶりに我が子が帰ってきて大盛り上がりなのかしら♪

これでもか!というくらいご馳走作るのかしら♪

なーんて、妄想しています(´∀`)

 

 

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!