の続きになります。


ちょっと長くなるので、よろしくお願いします!







先生からの説明があった後にすぐ、リハビリセンターへ予約を入れました。





そして、産まれてから2か月半経った某日、

娘は退院します♪

長い入院生活でしたー!




退院と言っても、まだ体重は、

やっと、2100g。

新生児にも満たない小さな赤ちゃんでした。

心臓も、そのちょっと前まで止まってアラーム鳴っていた時もあったのに、

ほほほほほんとに大丈夫ですか!死なないですか!と

主治医に念を押したのを覚えています。


「大丈夫と判断したから退院なのですよ♪(^∇^)」と言われました。

(ほんまいかいな、ですよね)



やっと我が家にやってきた娘ちゃん。

この日をどんなに待ち焦がれたか♪

家族揃っての生活が始まります………が。



ここから、今度はリハビリへの通院の毎日になります。






リハビリって、容赦ないんです。

私は初め、育児サークルのような所でやる、「赤ちゃん体操」みたいな感じで、

「はーい♪おいっちにーさんし♪」なんてやるのかと、気楽に考えていたら、



そんなに身体を極限まで曲げたりして、逆におかしくなってしまうのではないか、

脱臼起こしたりしないのか、と見ていて不安だったほどです。



娘もいつも、とても痛いんだと思いますが、悲鳴のように泣いていて

私は手を出せず(出してはいけない)、そばで見守る事しか出来ませんでした。



リハビリは先生に任せるとして、

私に出来る事は何か。



とにかく毎日、時間が出来たらパソコンにしがみついて、検索検索。

情報が欲しくて、脳室周囲白質軟化症について調べるのですが、

もっともらしい医学的記述があるだけで、予後や、実際にその病気になって生活している人の話など、

私にとって役に立つ情報がありませんでした。

まだその頃は、本当に情報が少なくて、唯一の情報源が絶たれてしまいます。



なので、今度は視点を変えて検索。

病気ではなく、脳そのものについて調べます。



その中で私が着目したのが、「脳に刺激を与える事」

誰もが知っている事のようで、あまり重要視している人は少ないのではないでしょうか。

赤ちゃんの脳というのは、大人だと致命的な事でも、

著しい成長の段階で、今ある健全な脳が、足りない部分の脳を補う事があるということ。

補う事は出来なくても、神経を勝手につなげていく作用があったりするということ。



骨折した時に、骨を修復や強化する為に、骨が出てきて太くなる、なんて事を聞いたことがあると

思いますが、

それと似たような事が脳にも起きる事があるのです。

脳だけじゃなく、身体のどの器官も、無い部分を、ある部分が危機を感じ、一斉に補う努力を始める、

まさに、素晴らしい人間のメカニズムです!

特に赤ちゃんに関しては、未知の可能性に溢れています。



その為には、脳を活性化しなければいけない。

どんどん脳を動かさなければいけない。



何をすればいいかと言うと、五感を刺激するのです。

嗅覚、聴覚、視覚、味覚、触覚。



これらを、フル稼働させるのです。




よし!これに賭けてみようと、私はその日から、ありとあらゆる刺激を与え続けます。





匂いは、納豆だろうが、アロマだろうが、料理の匂いだろうが、

刺激になりそうな香りを、鼻先に付けて全て嗅がせる。



触覚は、まだ自分から触る事は出来ないので、私が娘の前に物を持ってきて、

たわしや、ざらざらした物、ぷにゅぷにゅした物、冷たい物や、温かい物、

ビニール袋や、固い物柔らかい物、思いつく限り全部。



おもちゃは、本当はナチュラルが大好きだったので、当時流行っていた木製のおもちゃを与えたかったけれど、

赤ちゃんは特に、原色の物の方が刺激を受けると分かり、

おもちゃはカラフルな原色を重点的に用意。パステルカラーももちろん混ぜて。

木製の物も、「変わった物を見せる」という手段には有効なので、少量持ってました。

絵本は色鮮やかな物が多くて、選ぶのも楽しかったし、助かりました♪

どうか、皆さんも、たくさんの本を読んであげて下さいね♪

興味を示さなくても、すぐ口に入れてしゃぶしゃぶしてしまっても(笑)いいのです。

読めないから与えない、ではもったいないです!



毎日一緒にいて抱っこしている私の事も私は利用する事にし(自分が自分を利用するというのも変な話だ)、

彼女の視覚と触覚を刺激する事が出来ると思って、

服を一日3回取り換えました。

色と、肌触りの違う物を。


















これが結構効果ありかもしれなくて、着替えると、

「え?誰?」て顔で見ていたのですよ。笑

色んな色の服を着るようにしていました。




離乳食が始まってからは、もう、なんとなく分かりますよね。笑

ありとあらゆる物を食べさせました。

これが、将来的には非常に良い事で、

娘は好き嫌いの無い子に育ちました♪

(息子の時は離乳食は手を抜いたので、好き嫌い大王になりましたw)




外へは毎日連れ出し、色んな人に会わせて抱っこしてもらい、人見知りもなんのその、

泣くということは刺激を受けている事だと逆に喜び。



とにかく、一生懸命、考え付く限りの全ての手を尽くしました。



正直、とってもめんどくさくて、しかも何の保障もない事に一生懸命頑張るというのは、

時にむなしさもあり…。

絶望しては自分を奮い立たせ、また絶望しては奮い立たせ…を繰り返し。







そんな風に頑張っていて、娘が10か月になった時。



「だいだい」と言って、手首を動かしたのです。



その動作は、「バイバイ」と手を振るしぐさにそっくりでした。



息子は言葉が遅くて、2歳ごろまで話せなかったので、

いくら早くても、10か月で話すなんて、ありえなーい、と気のせいと否定したのですが、


やはり、こちらがバイバイと言うと、

「だいだい」と言って手首を動かすのです!



こ、これは!

もしかして、しゃべってるんじゃないの!?

しかも、早っ!



てことは、脳が正常って事じゃないの!?


まだ、お座りもちゃんと出来ない状態だったので、身体的には変化はなかったものの、

知能の方は問題ないんじゃないかと私は思うようになります。



これが私には、一筋の希望になります!

ていうか、他の事は何だっていい!と思うようになります。


歩けなくてもいいよ!

字書けなくていいよ!


知能さえ正常なら、一生車椅子の生活だったとしても、

それなりに、彼女にとっての楽しい人生が待っているのではないかと。

車椅子の花嫁、なんてタイトルの何かがあったし、

乙武さんなんて、手足ないのに、あの人気ぶりでしたしね。



これだけの事で、本当に嬉しくて嬉しくて。

もっといっぱい言葉を聞かせて、と思うようになります。




さらにやる気を出して、リハビリも、家庭での脳の刺激も頑張っていくのですが、



1歳半になったある日……。






娘は歩き出します。

(※私の事を、かっかー、と呼んでいたのです。

どうよ? かわい過ぎて、そこのあなた鼻血出たでしょ)




人よりも遅い、歩き始めですが、歩けないかもしれないと思っていたのですから

この一歩が何よりも嬉しくて、

私は久しぶりに、大号泣をするのでした。



この、息が出来なくなりそうなほどの愛しい気持ちを、どう表現したらいいのか。

神様、私に娘を授けてくれてありがとう。

無事に生かしてくれてありがとう。

そんな気持ちでした。



そして、それから2か月後の、娘1歳8か月の時。

迎える、精密検査の再検査の日。

今がどういう状態なのか、再度調べる事になります。



④へつづく。



出産記を詳しく読みたい方は、
もっと細かく書いたリメイク版が
ありますので、
こちらを読んでみてください↓
 





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いつもイイネやコメントをありがとうございます♪

昨日は更新出来なかったのに、アクセス数が今までで一番多くてびっくり!(と言っても2倍くらいね)

出産の記事のせい?

来てくださった方達、本当にありがとうございます!



もうちょっと続きますので、興味のない人も、もう少しお付き合いくださいませ!