①、②、③、④、⑤、⑥、⑦、⑧、⑨
の続きです。
前回、残酷な宣告をされたことを
書きました。

全然受け入れられなくて、
鬱陶しいくらい、めそめそしていました。
考えれば考えるほど、
やはり、こんな風に産んでしまった
自分を責めてしまう。
最初は、全く頼りにならない母親で
私は泣いてばかりいました。
育てていけるんだろうかという
不安だらけ。
イケメン先生の、破壊力ある言葉に
ダメージを受けた私でしたが…

女医先生の言葉は、
私の「希望」でした。
(⑦話参照)
美化して書かせて頂きました(*゚∀゚)
この後も残酷な宣告は
まだあるのですが、
その時にもいつだって、
この女医先生の姿を思い出していました。
希望があったから頑張れた。

まだ、未来は確定したわけじゃない!
イケメン先生の言うように、
何かしらのハンディもあるかもしれない。
だけど、女医先生のようになる可能性もある。
いてもたってもいられず、
娘の顔を見に行く。
生きている事を確認すると
安心する(*^^*)

産まれた時に、考えなかったわけじゃ
ないので、
障害を持つことになったら…
私はどうするのだろう。

しょうがないよね。
全く全然、受け入れてはいないんだけど、
覚悟も出来ていないんだけど、
それでも、
この小さいのと一緒に
生きて行こうと思いました。
ぷにぷにすると、
ちょっと反応するの。
手を触れば握って来るし。
生きてるなーって(*´Д`)
最初は、可愛い見た目じゃないって
書きましたが、
見慣れてくると、可愛いんです!
他人が見たらきっと
全然可愛くないと思うんですが、
どんどん愛おしくなっていきました。
早くこの手に抱きしめたい…!
覚悟はまだ何も出来ていない。
覚悟と言うのは、すぐに出来るものじゃなく
この状況に慣れ、
受け入れざるを得なくなり、
徐々に出来ていくものだと思いました。
そして、
コメントにもありましたが、
出産の日以来、夫と息子が
出てきていないんですが、
⑩話まで進んでいますが、
まだ産んでから、
3日間くらいしか経ってなくて(笑)
産んだ翌日か翌々日、
お友達が何人かお見舞いに来て
くれたので、
その相手をしてもらいましたが、
(私はほとんど動けないので)
その後は来なくていいと
言ってありました。
というのも、

入院したその日、
帰り際に息子が泣いて、
母親との急な別れをすぐに理解出来なくて、
ちょっと大変だったので、
これは中途半端に私に会いに来ると
帰る時が大変と思い、
連れて来ない方がいいと
思ったのです。
病院も遠くて、
往復3時間かかるので、
幼稚園は5時間しか
預かってくれないので、
子供のお迎えに間に合うように
帰ろうとすると
とても慌ただしくなってしまうという
理由もありました。
退院まで来なくていいと
思っていたのですが…
ちょっと状況が変わった。
「まともに育つと思わないでください」
と言われた事、
夫にも話さなければいけない。

私は私の気持ちには自信があるけれど、
他人の気持ちはさっぱり分からない。
夫がどう思うのか、全く想像出来ない。
もしも嫌な顔をされたらどうしよう…。
一度娘には会っているので
大きさは知っています。
ですが一瞬見ただけで、
私みたいに、ゆっくり触れ合ったりは
していません。
息子の前では話が出来ないので、
息子が幼稚園に行っている間に
来てくれる事になりました。
まだ何も知らない夫が
やってきます。
つづく。
◆過去記事◆
不妊治療の話。
子宮全摘手術。
新しいクラス、知っている人がいないので
新しい友達が出来るといいな。
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前回の記事に、
コメントありがとうございました!
イケメン先生、ド直球で来ましたが、
それ以外は優しい先生でした。
医師により、
性格が本当に色々ですよね。
(当たり前なんですが)
もっとひどい言い方する先生もいるし、
優しい先生もいるし、
何も話してくれないで薬出すだけの先生もいるし。
だけど、娘は2か所のNICUにお世話に
なりましたが、
NICUの看護師さん達は
総じて皆さん、いい人ばかりでした!
その辺もうまく描けるといいのだけど…!
コメント
コメント一覧 (15)
ありがとうございます。
apori3
が
しました
去年産まれた娘は27週で943gで産まれました。
その後先生に、脳室周囲白質軟化症と診断されとてもショックでしたが、今ここで泣いてはダメだと気丈にしていたことを思い出します。その後沢山沢山考えました。
主人は不思議な位ぶれずに受け入れるので私が酷いのかと思うほど。
でも書かれているように、日々慣れて少しずつ受け入れざるを得ずに覚悟ができていくのだと思います。ただただ毎日の積み重ねですね。
初めての子でしたので、普通が分からないのも比較しづらくある意味良かったのかなとも思います。
今は毎日可愛いね♡を浴びせまくっています!本当にそう思うので 笑
これからいつどうなるか分かりませんが、私も世界を広げてもらいましたし、一緒に成長していきます。
更新待っておりますね。
apori3
が
しました
出生時体重は802gでした、生理的体重減少で621gまでになった時はどうしょうと思ったものです。あの頃は超未熟児と呼ばれていましたが、今は超低体重児と呼ばれるのですよね。
私の妊娠中毒症で大きく育たず30週を待って帝王切開での出産でした。
あぽりさんのおっしゃるように生きているのが、不思議でした。今では高校の教師をしております。子供の生きる力は素晴らしいですよね!
apori3
が
しました
未熟児ちゃんはもう成人したんですが、あぽりさんの記事読んで色々思い出してウルウルしています。
apori3
が
しました
全てが突然のことで、自分を責めてしまう、、そりゃそうですよね。娘ちゃんが元気に育ってくれて良かった!と思いながらいつも読んでます☆
私は、先日の先生の言葉は、先生なりの優しさだと思いました。(もちろん他人だから言えてることですが) 職業柄、障害を持った我が子を受け入れられない親御さんも何人も見てきたのでは、、。だからこそ、最悪の、でも起こり得る事実を話して、覚悟するよう言われたのだと感じました。
apori3
が
しました
産んでからすぐ、旦那様に医師から説明は無かったのでしょうか❓
うちの場合は、私より先に主人に話をしたような気がします。
あの頃の事がトラウマではっきり覚えていませんが、色々と両親揃って説明を受けた気がします。
NICUは色んな赤ちゃんがいました。色んな経験を看護師さんもされてきたと思います。看護師さん達もいつも明るくてとても良くして下さいました。
apori3
が
しました
産んですぐ障害ありかも?と分かるより健常児だと思ってて障害ありと突きつけられるのと、どっちが辛いのかと、娘が幼い頃はよく考えました。結果、あぽりさんと同じでしょうがないにたどり着きました。そんな事考えたってしょうがないないんですよね。親として一生懸命そだてるしかないのですから。
apori3
が
しました
赤ちゃん プニプニ
そこんとこ 大好きです!!
apori3
が
しました
apori3
が
しました
赤ちゃんのほっぺをぷにぷにしたくなりました〜(*^^*)
apori3
が
しました
成人式の時は写真を撮りはがきにして送るつもりです。
我が家はパパがものすごく前向きに子育てしてくれるから何とかやってこれました。
明日も日記楽しみです!
apori3
が
しました
毎日、じっくり読ませていただいております。
先生方の言葉のかけ方も様々。
どの先生もご自分の考えと、知識と、信念に基づいて患者さんに言葉をかけていていらっしゃると思います。
皆さん、正しいのでしょう。
でも、その言葉のチョイスで、受け止める方は希望を抱いたり、悩んだりしますよね。
私も長男を出産した産科医が正しい事を言うけれど、言葉がきつくて、検診の度に帰り道は泣いていました😥
あの頃の私は若かった…。
今なら言い返すか、スルーできますが、その時はまともに受けてしまって💦
あぽりさんの娘さんに対する想いや、葛藤が伝わってきて、涙が出てきます。
そして、今の娘さんの様子をこのブログからいつも拝見しているので、親戚のオバチャンの気持ちで、娘さんやご家族に拍手を送っています🤗
母は強し❗
ですね✨
これからも応援させて下さいね🍀
apori3
が
しました
NICUのスタッフさんは
生まれてきた奇跡と
生きている奇跡と
育ってゆく奇跡を
信じているからねー。
私も娘を産んだ時は助けられました。
apori3
が
しました
共に頑張ろうと励ましてくれ、さらにあぽりさんの支えとなるのでは~と思って読みました^^
コロナでもそうですが、この状況を凹んでばかりはいられず、ずっと先を見て前向きに頑張って乗り切っていくしかないと、自分を奮い立たせてきました。
山があって谷があっても、きっと乗り越えた先には良い事もあると信じているから、私ってポジティブかもと思います(笑)
あぽりさんもポジティブですよね(*´▽`*)
apori3
が
しました
あかちゃんにぷにぷにするの大好きです。
可愛すぎてたまりません。
apori3
が
しました