の続きです。  

17年前の話を書いています。 

前回、退院後の生活を書きました。


2006akachan72

娘のところに通う、
この生活に慣れてきて…



2006akachan73

娘の身体の具合の悪いところを
言われても、
驚く事もなくなり、
お医者さんに任せるしかないと
思うようになりました。


このまま、娘の治療が順調に進み、
いつか退院できるその日まで
頑張っていこう!と前向きになっていた
時だったのですが。


前を向くと、すぐ、
叩き潰されるんですよね。


この頃、神様は
私にとてつもない意地悪を
していたと思います(-_-)


2006akachan74

夫は、娘を妊娠していた時に
うつ病を発症しました。

1か月間休職し、
気分も持ち直し、復帰していたのですが。

娘が産まれた時は、
その復帰後の、順調にいっている
時でした。

それなのに、
私が退院して、割とすぐの頃だと
思うのですが
(正確な時期は忘れてしまいました)

うつ病再発!

もうこの時は、仕事にも行けなくなり
退職します。
そしてその後、2年間闘病生活を
送ることになりました。

彼は、薬を飲み、
寝ているだけの毎日だったので、
子育ての戦力からはずれました。
子育てどころか、
何もしてもらえなくなってしまいました…。

この大変な時に、
夫が病気で離脱。
この後、ほとんど夫は出て来ません。



そして同時期に、
もう一つの災難が。



2006akachan75

父までも…!!

ずいぶん前から出血していたのに
病院にも行かないでいたので、
病院に無理矢理行かせたら…

大きなガンが何個も出来ていて、
私達はこの時、
喪服を用意したほどです。
(10年以上生きてくれます!)


そこから父も闘病生活を
送ることになりました。


母は父の看病で一日中病院に
行っていたので、
とても疲れており、

母まで倒れたら、万事休す!

なので、私も手伝うことに。


両親も頼れない!


頼れないどころか、
どれも深刻なので、
私は誰の事も頼れないけれど、
家族は全員、私を必要としていた。


私一人で、全てこなさなきゃ
いけなくなってしまった。(絶望)


2006akachan76

この時の事を、
「三重苦」と呼んでいました。


1つ1つが、別々にやってきたら
もう少しうまく回せたかも
しれないのに、

どうしてこんなにいっぺんに
災難がやってくるのか。


その頃の私のスケジュールは
こんな感じです。


2006akachan77

幼稚園の延長保育に申し込む。

息子を送った後、


2006akachan78

午前中は、父の病院へ行く。

幸い父が入院した病院は、
うちから近かったので、
通院にはあまり負担はかかりませんでした。

そして、午後にやってくる母と
バトンタッチ!


その後は、娘の病院へ!


2006akachan79

娘の病院は、片道1時間半かかるので、
着いた途端に疲れていた。

夕方までいて、
その後家に帰り、


2006akachan80

息子を迎えに行く。

幼稚園って、夜まで預ける人が
ほとんどいないので、
延長保育を息子はとても
嫌がっていました。

だけど、NICUは子供は入れないので
置いていくしかないんですよね。
預け先が無い人はどうしたら
いいんでしょうね。


イラストの上限になってしまったので
絵はここまで。


帰ってからは、夕飯の支度、
子供のお風呂、寝かしつけ…などなど。

この合間に、搾乳をしていたのですが、
寝てるんだか寝てないんだか
よく分からない生活を送っていました。

夫は家にいるんだけど、
お米を炊く事すら出来なかった。
ただひたすら寝ていて、
食事の時だけ起きていました。


辛い…(´;ω;`)


辛そうなところで終わって
ごめんなさいね!

この後、もっと
辛くなっていきます。

でもこのシリーズ、
最後はハッピーエンドなので!




つづく。




◆過去記事◆

不妊治療の話。
 

子宮全摘手術。
 

厳しいっす!




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2020aaabana-01

2020aaabana-02



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何も、三ついっぺんに
やってこなくてもね!
しかもどれも深刻だし!

私が倒れそうだよ(笑)
でもこの時の私は、
自分が倒れるかもしれないなんて
微塵も思ってないんですよね。
不死身だと思っていたから(・∀・)