社会人一年目の息子と、
高校3年生の娘がいます。
今は、昔の話を書いています。
↑出産記からの…
↓子育て編
小児喘息と診断され、
大学病院以外で、喘息を診れる
病院を探しているところでした。
でも、どこにしたらいいのかは
まだ分かりませんでした。
最初の入院から
3か月もしないうちに
また発熱しました!
まずは、喘息が診れるという
一番近い小児科へ。
前に重症化している事を伝え
ましたが、
連れて行った時は
喘鳴(ゼイゼイとする音)が
出ていなかったので
ただの風邪と診断され、
風邪薬が処方されました。
まだ喘息に全く詳しくない私は、
事情を説明して処方された薬だから、
これで効くんだと思いました。
医者の言う通りに
薬を飲ませましたが、
良くなる気配はなく、
もう一度行ったけれど、
「喘息ではない」と言われ、
また高熱が下がらない状態が続き、
前回のように一週間も
待っていられなかったので、
今度は医師の判断ではなく、
自分の判断で大学病院へ行きました。
これは行って正解で、
即入院となりました。
そして1週間後に退院。
それからしばらくして…。
しばらくすると、また発熱…。
また別の、
喘息を診れるという小児科へ
行きました。
そこでもまた、
同じパターン。
また1週間の入院でした。
何回入院したか覚えてないほど、
2歳頃まで、
娘は何度も入退院を繰り返しました。
喘息だけじゃなく、
肺炎やインフルエンザでも
入院していますが、
娘にとって、
風邪は命取りでした。
その後もずっと、
運動も出来ず、
遊びでも激しいものはダメ、
吸入器は常備、
一度喘息になると
咳をするたびに嘔吐するので、
みるみる痩せていきます。
そして、咳で眠ることが出来ず、
呼吸が楽になるように
座った状態で眠りました。
治るまで、親も辛い( ノД`)
私から見ると
重症だと思っていたのに
これでも「中間くらい」なのか!
と思いました。
小児病棟の常連になったので、
看護師さんとも仲良くなり、
同じような、小児病棟の常連ママ達と
仲良くなりました。
入院している人達が、
障がいや重い病気、難病を抱えた子
ばかりだったので、
当時、脳性麻痺と言われていた
娘でしたから、
それはそれは励まして下さいました。
皆さん、人を励ましてる場合じゃ
ないんですけどね(笑)、
私もやっぱり励まして
しまいました!
そんな優しい世界でした。
(娘はその後、原因となるものが治り、
現在は脳性麻痺ではありません)
↓脳性麻痺を宣告された時
入院している子の中では
一番小さかったので
可愛がって頂きました(*^^*)
この時の、病院のママ達との交流は
私にとって
かけがえのない日々となりました。
娘のおかげで、
経験しようと思っても
経験出来る事ではない、
貴重な時を過ごせたと
思っています。
この先ずっと、ゴッド先生に
診て頂くことになるのですが、
最初はこんな風に、
違う病院を探していました。
次回は、
ゴッド先生をかかりつけ医にする
決め手となった話を書きますね。
つづく。
◆娘関連記事◆
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こんなに身体が弱くて
どうしようかと思いました。
NICUに入院していた時の方が
ずっと楽だったくらい。
喘息が治らない間は
親も眠れないし、
娘は嘔吐も激しかったので
脱水にならないように注意し、
呼吸音に耳を傾け
命の見守りでもあったので、
身体はヘトヘト、
精神もすり減る毎日でした。
思い出しても大変だった(;´Д`)
だんだんと楽になりますけどね!
コメント
コメント一覧 (15)
母が、わたしが眠れるまで手を握ってくれてたことも…
apori3
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『診れる』という表現が何回も出てきますが、それが気になり話が入ってこないほどでした(^^;;
読者が多いブログのようなので、『診られる』と『ら』抜きをせずに正しく書いて欲しいな、とおもいました。
apori3
がしました
痙攣も何回も起こして、幸運にも脳性麻痺起こしませんでしたが痙攣も脳に酸素が回らなくなるので本当に高熱があっという間に出てしまうので毎度トラウマ級にドキドキしましたし。
身体が弱いというより、それ程症状を出しまくってパワフルだなと思っています。今はアレルギーも全く無く、鼻水も出ていません。
湿疹がまだひどいですが、とびひにはなっていないだけ進歩したなと思っています。
apori3
がしました
apori3
がしました
お話を読んで、診断されて間もなくの頃を思い出しました。
大きい病院の先生はまるっと温かく包み込んでくださるような先生なので
つい「どんな状態の時に受診したらいいのか分からない」と弱音を吐いたら
「お母さんが一番良くわからなくっちゃ」としっかり激励された後、
「心配なら受診して、なんでこんな(軽い)状態で来たの?って言われたら安心して帰ればいい」と言っていただけてとても救われました。
救ってほしいですよね(笑)
apori3
がしました
当時はお米を配達してもらってもお金が払えないので居留守を使うほど貧乏でしたが(優しい米屋さんだったので置いていってくれる)、
喘息に効くと聞けば一瓶五千円する漢方薬を買って飲ませたり、喘息を診られる名医がいると聞けばタクシーに乗って遠くの病院に通ったりしていました。
エレベーターの無い住宅の四階まで、自分より大きくなった姉を背負って登る母の後ろ姿を思い出すと、今でもちょっと涙がでます。
apori3
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こんな小さな身体で辛かったでしょうね。見ているしか無いあぽりさんも。
私は25歳過ぎてから咳喘息と言われました。未だ咳喘息という名前すら専門医しか知らない言葉の頃です。それも職場の友人から「咳が治らないなら東京じゃダメよ。川崎の病院に行くと良い。川崎は公害で喘息の町だったから咳の専門医が多いの」と自分が川崎出身で小児喘息だったからと勧めてくれたのです。確かに横浜を含め他の市から来てる人が多かったです。小児科の他に専門の小児喘息科もありました。娘さんが生まれるより前の話なので、その時に知り合っていれば…(無理ですよね)。ちなみに東横線の元住吉にある総合病院でした。
近くの良い先生に診て貰えていた様なので(次回分かる?)川崎まで行かなくて良かった。
apori3
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初めてコメントさせていただきます。
私は手がかからず健康的に成長したと思っていますが、風邪をひいて咳をすると父が必ず背中に耳をあて異音がしないかチェックしていました。
あぽりさんのブログを読んでいると両親が一生懸命育ててくれたんだなぁと再確認できます。
独身、行方不明(東京にいるのは知っています)の親不孝物なので申し訳ないです。
よく拝見するようになってすぐにブログのお引っ越しをされたので過去ブログはあまり読めていませんが…引っ越し後はほぼ毎日拝見しています。
介護、子育てのお話これからも楽しみにしてます。
びっくりして髪の毛や目が飛んでるシーンが大好きです。
apori3
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その当時のあぽりさんに、
男同士の友情みたいに、肩組んで
あげたいです(=´∀`)人(´∀`=)
今のあぽりさんも、時節柄ご自愛ください
apori3
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今は元気だと分かっていてもドキドキしてしまいます…
apori3
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名前を見て、日本人ではないと思いました。ペンネームだから??
もし外国人の医師だったのであれば、言葉は大丈夫だったのですか?
通訳さんもいたのですか?
また外国人の医師で、文化も違うので、言われたことに対して、それは違う!!と感じたことがあれば、教えてほしいです。
apori3
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apori3
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お話の続き 待ってます
apori3
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咳き込んで吐いたり、夜ねれなかったり、座ったまま寝たり…同じ経験をしました。
娘の方が辛いでしょうが、親も大変ですよね。
今は中学生になり発作も殆どありませんが、未だ薬は飲んでいます。
季節がわりや、台風が近づくと少し咳が出ます。
酷くはありませんが、まだ少し心配です。
apori3
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apori3
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