夫と、高校3年生の娘と、
社会人1年目の息子(一人暮らし中)
がいます。
私が高校生の時の事を
書いています。
病院に行った所まで書きました。

マンモグラフィーは無かった時代ですが、
あっても、十代は乳腺の密度が多くて
(全部白く写ってしまうので)
エコーの診断だけになったかな、と
思います。
1㎝くらいのしこりが見つかりました。

はっきり診断する為には
「切ってみないと分からない」と
言われ、
しこりも小さいし、
出来るだけ切りたくないので、
このしこりが今度どうなるかを
見たいと言われ、
半年後に再検査となりました。

何なのか分からないまま
過ごすというのも
すっきりしないんですよ(-_-)
病院に行けばすぐに分かると
思っていた私は
拍子抜け。

母は前向きな言葉を
かけてくれました。
この頃、親には、
かなりな心配をかけたと
思います。
自分の娘が…と思うと、
今の私には、その心配が
手に取るように分かる。

私のしこりは、
急速度で大きくなり、
3か月くらいで、
ブラジャーからはみ出るほどの
大きさになってしまいました。
ワイヤーのブラジャーを
していたのですが、
このワイヤーに挟まれると
激痛が走る!
押し込んで元に戻すのですが、
そのうち私は、
その行為に慣れて、
「ほいっ!」と簡単に押し戻せるように
なりました。
(自慢にならない)
大きくなった時にすぐに
病院に行かなかったのは、
医者から
「半年後」と言われ
予約を取っていたので、
律儀にそれを守っていたんです。
さらに放置すると、

大きさもどんどん大きく
なっていきましたが、
しこりが2個になった!!
新たなしこりが出現して、
それもみるみるうちに
大きくなっていきました。

もう、諦めました!
(諦めるんじゃない!)
こりゃ絶対悪性だと思って、
1人で勝手に、
命のカウントダウンを
していました。
今考えれば、
早く病院へ!検査!
と思うのですが、
高校生の私は、人生経験が
あまりにも未熟で、
どうしたらいいか分からなかった
んですよね。
この時、付き合っていた彼氏がいて、
その彼に打ち明けたり、
友達にも打ち明けたり、
大騒動になり、
なんだかみんなで
泣いていました(笑)
今は笑い話で、
ただの人騒がせな私なのですが、
あの時はみんなで真剣に
考えてくれたなー…。
自分の親や、祖父母に相談してくれた
友達もいました。
あの頃の友達にはとても
心配をかけてしまい、
その後、良性だった時は
めちゃくちゃ謝ったんですが、
良性と知った時も
みんな、泣いてくれました。
そんな、青春の一コマ。
友達には話せるのに、
肝心の私の親には
言えなかった。

親には、しこりがこんなに大きく
なっている事を
言っていませんでした。
それまでも心配をかけていて、
毎日落ち込まれるのも嫌だったので
隠していました。
親は、「異常無し」と言われると
思って病院へ行ったと思います。
再検査の日に病院へ行きました。

医者が、触診の段階で、
顔色がみるみるうちに
変わっていくのが分かるんですよ。
それを見て、
「あぁ…どのくらい
生きられるのだろう」
と、おバカな事を考えていました。
私が、「死」というものに
初めて真剣に向き合った時でした。
つづく。
◆身体の事関連記事◆
マッチョにはなりません♪
今は、あすけんの有料版を使っています。
いずれその話も書きますね。
暖かくなるとホットフラッシュが辛い!
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何歳でも、検査結果が出るまでの間、
不安ですよね(;´∀`)
昨日の②にもコメント
ありがとうございました!
私も娘にしこりが出来たと言われたら
「触らせてみ!」って言うと
思います。
絶対触ると思います。
でも、父親はダメだよねー(笑)
コメント
コメント一覧 (9)
そんなに急激に大きくなってしかも増えたりしたら不安でたまらなくなりますね(>_<)
親には言えない気持ちも分かる…でも自分が親になった今、言ってもらえないのも辛い(T^T)
乳がん健診でこんな事で来ないでくださいねって怒られたり
だって痛みがあるしそこの婦人科にかかってる!
嫌な医師がいました。
男性医師は当たりが多くていつも偶然院長クラスの
優しいお医者さんに当たっています。
あと大腸カメラ健診受けてきました。
下剤を飲むのがしょっぱいしキツイ
検査自体は全く痛くなく眠り薬は0.5ミリ打たれ
全く眠くならず自分の大腸を初めて見てきました
ガスがお腹痛かった!しばらく食べられないです。
でもあの院長先生なら安心だなあ。
あぽりさん下剤飲むのは大丈夫でしたか?
あぽりさんも大丈夫だったという事で私も笑い話?です。
小学校4年の時にどちらの胸だったか忘れましたが痛みが出始めました。ズキンズキンという痛みがずっと続いて(夜は寝られました)、最初は掛かり付けの内科の女医さんに診て貰いました。心臓とは場所や痛みが違うので除外。出された薬はシップ。筋肉痛だという事でしたので何もない平な胸にシップを貼っていました。暫く貼っても治らないので苛立った母親に連れられて県立病院へ。レントゲンや触診で男の先生に言われたのは「成長期の痛みですね。よく有りますよ。?お母さんは経験ないですか?」
一安心で帰って来ましたが母は「私はそんな経験無いわよ!小学生で胸が大きくなんてなるの?」と少し怒り気味。
私は小学5年にはブラが必要になりました。当時は、小学生で胸が大きくなったり生理が有ったりするのは珍しく学校内でも数人いるかどうかの時代でしたから、あまり嬉しくは無かったですね。
しかし、今思うとお風呂あがりに胸にシップを貼っていた自分が笑えます。
かなり動揺した私を見てお医者さんは「腫瘍が悪性だったらとか、抗がん剤を打つのかなとかは、腫瘍が悪性とわかってから考えればいいんだよ。今考えても何もならないから。」と言われて落ち着き、結果が出るまで意外と平静に過ごせました。
お医者さんの言葉や態度ってって影響力大きいですよね。
高校生位だと親に言えない気持ち凄くわかります。もう15年以上前になりますが、皆んなで乳がんを特集するテレビを見ていた時、義姉が「あっ」と声をあげて、「これシコリだよね?」「シコリだよね?」と義理母と私に言うので、触らせてもらいました。
なんて言うか?梅干しの種でも入っているのか?って言う硬さや、シコリの表面がつるんと丸い物でもなく、梅の種の先?が尖ってますがそれも感じられる「物」でした。それまで一度も触った事はありませんでしたが、もう背中がゾゾゾ〜っとなり、「ガンだ!」って心の中で思いました。
検査で結局2つのシコリがみつかりステージ3でしたけど、リンパと右乳房を取りました。15年以上経ちましたが今でもすっごく元気です。
お医者さんのお顔がみるみるうちに変わっていくなんて・・・(;´Д`)
今こうしてブログを書いてらっしゃるので、大丈夫だと分かっていてもドキドキです。
みなさんの体験談もとても参考になります。今年はどんな忙しくてもコロナ禍でも健康診断受けます!!
次回の投稿が待たれます💦
死のワードは強烈ですね。
母が乳癌になり、場所が悪かったので、片方の胸とリンパを全摘しています。
母に乳癌履歴があるので私も乳癌リスクはあるでしょうし、年齢もまだ若い方なので、死ぬのかなと考えさせられます。
原始的すぎて呆れる。
年寄りの医者の治療方法に疑問持つこと多かったけど、こういう下地が何十年とあるならそうもなると納得。